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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

「ラストイヤーにかける想い」初田航汰

2025/11/15

立命館ラグビー部で1番馬鹿にされてきた自分のラグビー人生も残り2週間、そして、「このラストイヤーにかける思い」という自身のエッセイを書く時、どんな大学ラグビー人生だっただろうとずっと考えていると、この4年間は、2文字で表す事ができることに気付きました。

「刺激」

これです。4年間は、刺激との闘いだったのだと思います。なぜこの刺激を強く感じ、刺激を受けてきたのか、なぜ刺激で4年間を表すことが出来たのか、自身のキャリアから所々、語り口調で書いていこうと思います。文章が下手なので、パッションで書きます。

ここから下は、大学ラグビーのみでは今の自分は語れないので、小学校から高校までを軽く触れておきます。気になる方のみ読んでください。それ以外の方は本章に進んでください。

 

小学時代
小学生の頃は、3年生から野球をしていました。
ポジションはキャッチャーで、肩も弱く盗塁も刺した記憶はありません。

そして、私に転機が訪れます。小学校卒業間近、父にラグビーの試合に連れられ、当初はクソビビりで臆病でちきりだったのでやりたくないと思いましたが、半強制的にラグビーを始めました。
そこから、気がつくとラグビーにハマっていました。当時、日本代表が南アフリカを撃破したこともあり、ラグビーやったろうと思っていました。

 

中学時代

中学に入学すると運良く、古川先生という有名な熱血先生と出会いました。当初部員がほぼ居なかったラグビー部を復活させるため、そして、自分もラグビーをする為に部員集めに紛争しました。毎日、友達の家や教室、学校中を駆け回りました。結果、同級生を15人集めることに成功し、チームを作ることに成功しました。当時、中学の友達からは「円堂守やん」と言われていました。
そこから、古川先生にビシバシ扱かれながら、腐った人間性を叩き直されました。中学三年生の頃、主将を任され、体育館で1対1でめっちゃ怒られたことも、下校時間をすげてまで怒られたことも、大勢の生徒の前で怒られたことも今になってはいい思い出です。ですが、中学の頃は部はベスト16どまりで、自身はラグビーがクソ下手でした。その影響もあり、高校選びは京都成章などの強豪校ではなく、大学進学優先で、文武両道を掲げている東山高校に入学することになりました。

 

東山高校

入部当初からスタメンで、ラグビー部内では自分でゆうのも何ですが、いちばん上手い立場にいました。ですが、戦績は悪かったです。2年までは京都予選で2回戦負け、本当に弱く、花園には程遠い存在でした。
そして、3年生になり主将を任され、山田監督という今まで出会ってきた中で一番熱い人と一緒にチームを変えていきました。ですが、自身の力不足でチームは京都成章に89対7と大敗しました。その時、1トライ取ったから、ええか、気持ちよく引退かと思っていましたが、試合の次の日からめちゃくちゃ腹立ってきたんすね、82点差は大きいなと、これでおれのラグビー人生が終わんのしょーもないなと、別にそんな対して差ないやろと思っていた事もあり、大学では、強いチームでどこまで自分の力が通用するのか、でかい舞台で多くの観客の前でプレーしたいなと思い、立命館大学に入学しました。

ここから本章(刺激の日々)です。

思い返すとこの大学の4年間は、本当に悔しい思いと数々の刺激を与えられてきたと思います。

入部当初、先輩や同期が凄く怖かったのを今でも覚えています。
数々の有名な先輩がいたり、同期には花園を沸かせたメンバーが数多くおり、そして、殆どが強豪校出身のスポーツ推薦であり、一般組の私は、正直めちゃくちゃ馬鹿にされるやろなと思い、劣等感を感じていました。

自分(一般組)と推薦組ではやはりラグビーに対する考え方も能力も全然違いました。

ドラマ『ロイヤルファミリー』で例えるなら
周りは“北陵ファーム”のエリート馬。
自分は日高の弱小牧場の馬(ロイヤルホープ)。

でも、その日高の馬には生産者(高校の監督や仲間、家族)の希望が詰まっています。
だからこそ、弱小校出身の自分がスタメンを奪い、関西制覇というドラマを作ると本気で思っていました。

しかし、現実はそう甘くはありませんでした。周りとのレベルの差、意識の差、そして、1番きつかったのは、覚悟していたのですが、馬鹿にされ、刺激され続けたことです。

私は中学、高校と主将を経験しており、尚且つ、高校では上手いキャラであったので、周りにずっと言う側の人間でした。その言われる側になった大学でとても辛くなり、プライドがずたずたにされました。
多くの先輩からや今はいない同期から、ラグビーやめろとか、試合でミスをすると笑われたり、練習でも馬鹿にされたり、めちゃくちゃ言われ行きたくないって思った時もありました。

ここで刺激入れてきた、笑ってきた先輩に本音で言わしてください。

言われる側なってみろ!うまいからっていきんなや、ダサいねん、お前もJAPANとかいったら同じ立場なるやろ!カスが!
それで笑ってんのめっちゃださいねん!ゴリフェイクやん!

本心はこんな感じでしたが、言い返せませんでした。それは実力がなかったからです。
ですが、今振り返ってみると、自分自身がフェイクだった事に気付きました。高校時代、自分が上手い立場だと思い、自分がミスしても誰からも言われず、仲間がミスったら結構言ってたから同じ状況かもしれんなと思いました。高校の時、結構イキってた(だんじりに乗ってた)なと。言われる側の気持ちを考えず言ってしまっていたなと。そして、自分に言いにくい雰囲気を作ってしまっていたなと思いました。
ほんまにフェイクやったと思います。恥ずかしいです。

このような刺激を受けてきた私が入部当初掲げたことはただ1つ、誰よりも練習する事です。
そこから私は誰よりも練習することで見返してやろうと思いました。
1.2年生の頃は、中村颯汰にパスの掘り方をずっと教えてもらい、練習に付き合ってもらいました。今のパスの基本はここにあります。
3年生の頃は、牧さんの指導の元、吉川に毎日タックルしに行き、タックルを学びました。
今年は、山下真之介の後釜になるべく、キック練習をずっとしました。
数々の練習を誰よりもしてきたと思っていたのですが、現実はそう甘くなく、1、2年生の頃も上手く上に上がれず、3年生の最終戦の関大戦ではDチームで試合に出ていました。

プライドもずたずたで、もうおれはここまでかと思いました。めっちゃくちゃ落ち込みました。いつも飲みに行くメンバー「BKS」のほとんどが試合に出ており、ホンマに羨ましかったし、見ている世界も違いました。しかも、その飲み会でしか、まともに話す機会が3年生の秋の頃はなかったです。なぜなら、ずっと練習が別だったからです。皆は1stの練習で僕は毎日フルコン練習の2ndでした。いや、名前も違いました。みんなはPremierで、 僕はdevelopment(発展)です。3年生の秋でずっと発展のチームだったのがほんまに情けなかったです。しかし、こんな不甲斐ない3年生秋の自分に対して、救ってくれた人が居ます。小暮さん、一色(吉本クリエイティブエージェンシー)、同期です。

小暮さんは、俺がボロボロの時、二人で飯に誘ってくれて本気で話聞いてくれて、愚痴も聞いてくれてほんまにあの時期は助かりました。
一色(吉本クリエイティブエージェンシー)さんは、ほんま兄貴みたいな存在で、ずっとしょーもない話相手になってくれました。ポジティブな刺激をくれました。就活も何もかもお世話になりました。
同期のBKSのみんなは自分がどんな立場に居ても、2ndのチームの試合に出る前、応援の声を掛けてくれたり、練習が別でも自分と自主練習をしてくれ、飲み会でも刺激を与えてくれました。飲み会での刺激は岸澤が書いていた通りです。ボロカスです。先輩からの刺激はめっちゃ腹立つんやけど、同期からの刺激は、まじめっちゃくらいまくる、ぐぅの音も出ない程のパンチラインをくらいます。言い返す言葉も見つからず、その後の飲み会でずっと黙ってまうくらいです。けど、なんかそれがモチベーションになって、めっちゃやったろうと思えます。その刺激を貰いつつ、練習に励んでいた所、この4年生の秋にして、ようやく10番を掴み取る事が出来ました。

刺激のお陰で自分は強くなれました。これからもドンドン刺激をください。

 

後輩に伝えたいこと

初スタメンで向かえる京産戦前、小藤さんにある言葉を頂きました。 「初田は凡人やから、頑張れよ」と刺激を貰い、めちゃくちゃ響きました。つまり、お前は下手くそやというメッセージです。ですが、これがめちゃくちゃ力になりました。俺は下手くそやから、頑張ろうと。下手くそって認めることってめっちゃ大事やと思います。後輩に残せることはこれだけです。下手くそやと思うことの重要性です。自分が下手くそだと思えたら、練習もするようになるし、我武者羅にひたむきになれます。やるかやらないか迷った時、下手くそやと思えていたら、やろうと思えます。やからこのマインド持っておいてください。下手くそ代表の自分からのメッセージです。
あとはウエイトは体幹、腹回りのメニューあると思うけど、しっかりやっとけよ!アレマジで大事やから。体幹弱い俺やからゆえます。

 

最後に、
今年は関西制覇を掲げ、現在の所は、一勝止まりと非常に厳しい状況が続いています。ですが、残り2戦、下手くそ代表の自分が10番を背負い、関西4位になり、来年に必ず繋げます。
そして、両親へ、生んでくれてありがとう!ラグビーというスポーツを与えてくれてありがとう、支えてくれてありがとう。残り2戦、最高のプレーを見せることで恩返ししたいと思ってます!

まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。最高の同期と青春を過ごせたことを心から誇りに思います。残りわずかなラグビー人生、自分のすべてを捧げます。今後とも熱いご声援のほど、よろしくお願いいたします。

 

初田航汰

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