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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

「ラストイヤーにかける想い」箕部央一

2025/11/19

あまり打ち明けてこなかったのですが、正直に言うと入部して1年くらいしたらラグビーを辞めているだろうなという思いで、ここ立命館大学体育会ラグビー部に入部しました。

高校3年時の花園で負けてしまった時点で、ラグビーに対して燃え尽きていたからだと思います。これといった目標も無く、ただ流れに身を任せて入部したのが始まりでした。

 

今思えばとんでもない新入部員ですが、そんな自分ではだめだと気づかせてくれたのは、同期の皆なの姿でした。入部当初から高い志を持ってラグビーに向き合い、1年時から第一線で活躍している姿を目の当たりにするうちに、「このままじゃいけない」という気持ちがどんどん強くなっていきました。気づけば、あれほど冷めていたはずのラグビーに、もう一度向き合う覚悟が芽生えていました。そして同時に、父と母にラグビーを通して恩返しがしたいと必死になっていました。

その後、2年時の秋シーズンの開幕戦でジャージを着ることができ、天理戦では初めて15番で試合に出場することができました。あの時の嬉しさは今後忘れることがないものだと思います。(天理戦のメンバー発表後から試合までの数日間は、緊張しすぎてあまり覚えていません。)

 

しかし、秋シーズンでジャージを着たのはこの年が最後となってしまいました。3年時の5月に腰痛を発症し、その後のシーズンを棒に振りました。なんとか4年時の春に復帰したものの、1年のブランクのせいか肉離れを2度してしまい、再度夏合宿で復帰するも、合宿中に腰痛を再発、開幕前には走れない状態になってしまいました。シーズン途中に間に合うようにと多くの時間を治療にあて、3回腰に注射をしたものの治ることはありませんでした。結局箕部は怪我で終わったどうしようもない選手だと言われても、言い返す言葉がないです。リーダー陣はチームの為に多くの時間を費やし、試合に出ているメンバーも体を張ってチームに貢献している中、選手としてなにも出来なかった自分が情けなく、申し訳ない気持ちです。

本気でチームと個人の目標を成し遂げたいと思っていた分、ショックは大きかったです。グランドで練習に励み、試合をしている選手たちがとてつもなく羨ましく、ラグビーができない自分の体を死ぬほど憎みました。

「練習しんどいわぁ」「ESD走りたくないー」なんて言葉を耳にするたびに、何言ってんだよ、それが当たり前だと思うなよ!!――と、心の底からムカついていました。

でも、そんな自分こそが一番、その“当たり前”に気づいていなかったのかも知れません。

思い描いていたものとはほど遠い現状ではあるものの、この環境で過ごせたからこそ愉快な仲間たちと出会い、色んな立場から数多くの経験を重ね、人生の財産となる時間を過ごすことができました。その背景には、地元・浦安から応援してくれていた方々、中高の友人たち、家族、先輩や後輩、学生スタッフなど、ここに書ききれないほど数多くの方々の支えがありました。今の自分があるのは、間違いなくそのすべての支えがあったからです。普通に生活して、ラグビーができて、仲間がいて、支えてくれる人がいる。これは必ずしも当たり前のことではないと思います。なんの志もなかった自分に熱中できる場所を与えてくれたこと、そしてそんな自分を支えてくれた方々に、心から感謝しています。

 

現在は井原さんの進言のもと、部に所属する一選手として、最後の試合に少しでも出場できるようリハビリを続けています。残り数日しかないこのタイミングで何をしているんだと思っている人も多いかもしれませんが、その通りだと思います。だからこそ、自分と同じ境遇には誰もなってほしくないです。後輩のみんなには、常に自分自身を客観視しながら取り組んでほしいと強く思っています。

引退まで残されたわずかな時間の中で、自分に真摯に向き合い続けてくれている井原さん、松本さんには、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

 

振り返ると、この4年間は本当に人に恵まれ、喜びや悔しさ、情けなさ、そしてラグビーの楽しさなど、さまざまな感情を抱きながら多くの経験を積むことができました。そんな4年間での想いを力に変え、こんな立場ながら少しでもチームに残せるものがあると信じ、最後の瞬間まで全力を尽くしたいと思います。そして、大きな存在である父をはじめ、16年間のラグビー人生で出会ったすべての人への感謝の気持ちを胸に、ラグビーが好きな自分として、引退の日を迎えたいと思います。

箕部央一

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