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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-仲山慧一-

2026/09/01

就活で自分と向き合う時間が多くなって、ふと思う。
立命館が他のどの大学にも負けない強さとはなにか。
立命館にしかない良さとはなにか。
昨年春優勝したときではなくて今年のでもない。
なんかもっとこう絶対的なもの。
分からなかった。

だから僕は選手を辞めた。

いつも立命館大学体育会ラグビー部へ多大なるご支援ご声援を賜り誠にありがとうございます。立命館の秘密兵器、仲山慧一です。
と言ってももちろん私には隠れたパワーも才能もありません。4年間にして出場2試合80分。知る人ぞ知る部員です。多くの皆様初めまして!
鍋島・西村に勝る厄介さを自称する私ですが、五十音順で並べると確か仲山は鍋島の前にいたはずです。仲山、鍋島、西村と3人並びます。随分と並ぶなと思って名簿を見てみると、前には中村、末、生島…西村の後ろには幅、東、松井、三浦が続きます。名取もいました。改めて曲者揃いの代で先輩後輩含め皆さんには大変なご迷惑をお掛けしたと思います。あと数ヶ月ほどお付き合い下さい。既にお気づきのことと思いますが厄介者らしく長文を綴ります。お時間のある時に読んでいただけますと幸いです。

 

まずはテンプレ通りに私のラグビー人生を幼少期から、、と思いましたがなかなか筆が進みません。ここで改めて気づかされます。きっとここにいる多くの人と違って、私の人生の中心にラグビーがいたのはほんのわずかな時間だけだったことに。そんなわけでラグビーという額縁を外して私の人生を振り返らせてください。(もちろんラグビーも出てきます)

私は幼少期、世間では英才教育と呼ばれる類のものを受けたと勝手に思っています。物心つく前から様々な習い事をしており、小学生の頃は学校が終わると毎日違うところに出かけていました。放課後に公園で遊んでいる友達を横目に、習い事の時間が差し迫り、足早に帰る毎日が鮮明に思い出されます。部活の練習後に誰よりも早く帰る私を皆さんよくご存知でしょう。あれはこの頃の日常が今なお根付いている証です。
誰もが通ったであろうDSや3DSはどれだけ頼んでも私の手に入ることはありませんでした。マンガやアニメもみることができませんでした。
休み時間に流行りのゲームやアニメの話になると全く分からず、作り笑いをしながら毎日両親を恨んでいました。今なお部室でイナズマイレブンや妖怪ウォッチの話が飛び交うことがあり、ジェネギャといじってくる輩がいますが、当時からついていけていませんでした。

 

中学は小学校と同様に地元の中学校に入りました。エリート街道を突き進むはずだった私の転落はここから始まりました。入学当時はそれほどでもなかったのですが、2年生の頃が特に酷かったです。毎日どこかで警察沙汰、やがて校内の廊下を警察官が巡回するようになりました。いつしか授業は行われなくなりました。実際には先生は来るのですが教室に生徒が数人しかおらず、その他数十人を先生が探しに行ってる間に授業が終わるという感じでした。担任は鬱になり来なくなりました。まるで保育園のような学校で3年間を過ごしました。

 

結局保育園の成績が思わしくなかったこともあり、これまた地元の高校に通うことになりました。かの有名な横須賀高校です。(皆さんご存知ですよね??)

高校時代は私の人生で唯一、ラグビーに1番情熱を注いだ時間です。70kgでラグビー部に入部した私はとにかく増量に励みました。というのも中学まではほとんど同い年としかプレーすることはなかったのですが、高校に入ると2個上の選手とも戦います。120kgを超える先輩を前にして、このままでは怪我をする。増やさなければと思いました。焦りに近いものだったように思います。とにかく食べる、食べる、食べ続ける。一向に増えませんでした。
部活帰りにコンビニで補食を食べた後、21時過ぎに帰宅してから闘いは始まります。夕飯です。朝から動いてもう眠い。ひと口も食べてないけどもう既にお腹はいっぱい。そのまま料理を前に寝落ちします。気づけば夢の中。幸せも束の間、母親の怒声が家中に、いや近所中に響き渡ります。早く食べなさい。食べてから寝なさい。当たり前のことです。ひと口食べて気づいたらまた夢の中。。また叩き起こされてひと口食べて寝て。3年間毎晩のように何時間も格闘していました。そのおかげもあって(今からは想像もできないと思いますが)3年生の頃には体重は3桁に到達していました。試合でも活躍でき、キャプテンにも選ばれ、それなりに順風満帆な高校生活を過ごしました。
と言いたいところですが人生そんなうまくはいきません。完全に忘れてました。勉強という文字がいつしか僕の辞書から消えていました。

そんなわけで進学先は河合塾横浜校。高校生活とは打って変わって朝から晩まで勉強漬け。しんどかったです。あれだけ頑張って増やした体重も15kg落ちました。あとは割愛。あ、実はこの時たむこうも同じ教室にいたらしいです。大学に入学してから知りました。

 

皆さんお待たせしました。やっと本題に入ります。まずは私の近年稀にみるほど短い大学ラグビー選手生活から振り返っていきます。

2023/04/08
一般組の選手として入部。
2023/04/28
スクワットの測定中に怪我。腰椎分離症の診断。完治は難しく、これから一生向き合わなければならない怪我。競技復帰までは約3ヶ月。
2023/07/11
復帰。
2023/08/08
左足腓骨複雑骨折。左足首脱臼。3度の手術。
2025/06/17
約2年のリハビリを経て復帰。
2025/08/22
大学デビュー戦。
2025/11/29
大学2戦目。脳震盪。引退。

4年間の中でプレーしたのは約半年。幼少期~高校時代をこれほど引き伸ばした意味がわかっていただけたかと思います。

 

そんな私がGFの門を叩いたきっかけは立命館のラグビー部って面白そうだなと思ったからでした。小・中のスクールが同じというご縁で23卒の藤野さんから色々と話を聞かせて頂き、立命館の校風同様に、様々なバックグラウンドを持った選手がいて各々色々な考えを持っているけれども、皆伸び伸びとプレーしている、そういった意味で自由な部活だという印象を受けたのを覚えています。
いわゆる強豪校と聞くと、がんじがらめに縛られる、プライベートを奪われるといった印象を持っていた私にとって、藤野さんの話す立命館のラグビー部はとても魅力的に映りました。

入学して最初の基礎演習。めちゃくちゃでかい唇が後ろの席にいました。吉川くんでした。推薦組と違って私はまだラグビー部の部員では無いのに確か生島の家?に集まって皆で履修を組んだのを覚えています。藤野さんの話通りだなと。入部を決めました。

(4回生・鍋島孝碩、仲山慧一)

 

さて前述の通り私の大学生活は1回生の夏の怪我なしでは語れません。忘れもしない8月8日。フルコン復帰初日のADで大怪我を負いました。

「パキッ」
音が聞こえ、一瞬で骨が折れたとわかりました。
松本さん早く来てーー。

そんな救世主からの一言は「多分折れてはないと思うけどなぁ」でした。

この一言のやばさ、お分かりいただけるでしょうか。一気に周りからはただの痛がり認定です。
「まあ明日1回レントゲン撮ってもらって来てもいいけど」

言質を取ったので整形外科へ向かいます。
医者はレントゲンをみて「うん折れてないね」

GFに帰って来て訴えます。
「いや折れてないはずないほんとに痛いんです!!」
小さい金槌みたいなもので叩かれて
「あーもうちょい上の方が痛み出てるのかもね、もう少し上をもう1回撮ってもらってきて」

2度目のレントゲン。
めちゃくちゃ折れてました。

人生初手術でした。まさかこれほどまで私の身体が手術を受け付けないとはこの時は夢にも思いませんでした。
傷口が炎症を起こし1ヶ月後再手術。
2度目の手術後から毎日傷口の写真を送ることになりました。おかげでこの頃の僕の写真フォルダーは傷口の写真でいっぱいです。
11月に松葉杖が外れたとき、これまで当然のように出来ていた歩き方が分からなくなっていました。

1回生の秋セメスターは本当に地獄のような毎日でした。7時ウエイトから始まり、8時半頃から2時間ほど集さん(TR、24卒)とマンツーマンでリハビリ。松葉杖で大学の食堂に向かい、昼ごはんを食べたら3限から5限まで授業。授業後はもちろんグラウンド。授業と部活だけで終わる毎日。正直何してるんだろうと何度も思い悩みました。練習復帰してすぐやっぱり痛いとなって怪我人に戻ってくる。気づいたらもう2回の冬。良くなる気配はありませんでした。このまま引退か、一生痛みを我慢し続けながらプレーするのか。

神の声が聞こえました。眩しいその先からは井原さんの声。お知り合いのパーソナルトレーナーを紹介いただき通うことになりました。
2,3回通っただけで劇的な改善がみられました。復帰出来るかも。この時の嬉しさは計り知れないものでした。
2週間に一回、交通費諸々含めると1万円近くになりました。仕送りをもらわず、バイト代でやりくりしている私からするとかなり痛い出費でしたが、約半年ほど通いました。あの時は本当にお世話になりました。

 

そんなこんなで3回生の夏合宿の最終戦で大学ラグビーデビューを果たしました。

ここで冒頭に戻ります。3回の冬、周りが夏やそれ以前から就活をはじめている中、やっと重い腰を上げた私は差を埋めるべく就活漬けの毎日を送ることになります。幅さんと毎日のようにESを書いて深夜にGFでウエイトをする日々。ふとなんでここに来たのだろうと考えることが増えました。

(4回生・幅太陽、仲山慧一)

 

一般組と推薦組の決定的な違いは、立命館大学を選びそこの体育会ラグビー部に入ったのか立命館大学ラグビー部を選んで入学したのかだと私は思います。立命館大学にあったラグビー部に入部した私にとって立命館大学ラグビー部でしか成し得ないことが分からなかった。

また、幼少期から両親が将来の幅を広げるために色々な経験をさせてくれた甲斐もあり、なんでもそつなくこなせる人間になりました。就活用語で言うと私はまさに「ゼネラリスト」型の人間です。あるひとつの種目において日本一を目指す集団に必要なのは「スペシャリスト」型の人間であることは言うまでもないでしょう。

そもそも私がラグビーと出会ったのが母親のママ友からの紹介だったのもあります。幼い頃に沢山やらせてもらった習い事。全て「卒業」するまでやり遂げました。周りからはすごいねと言われました。大学までラグビーを続けることも、すごいねと。
「卒業」って聞こえはいいかもしれませんが、「意思なく続けること」でもあると私は思います。
これから社会人として歩み出す前に、学生時代の「とりあえずなんでも続ける私」と決別したかったのかもしれません。

立命館大学ラグビー部に入ってよかったかと聞かれたら間違いなくそれは良かったと答えます。私自身今までにないほど大きく成長した4年間だったし、私のこれからの人生に必要な4年間でした。ただ大学生活残りの1年弱は、ゼネラリストらしく新たな世界をもっと知って新たな知見を得たいと思った。そのうちの一つに学生コーチもありました。選手としてではなく違う形で部にアプローチしてみたいと思いました。とてもまだ形になっているとは言えないけれど、残り数ヶ月で自分なりの学生コーチ像を体現してみせます。

(4回生・橋本凌、光野凉有、仲山慧一、鍋島孝碩、東修吾)

 

最後に後輩と両親に向けて少しだけ。

まず後輩たちへ。
「男には人生を賭けて戦わなあかん時がある」
アメフト部の監督の話ですが、立命館一の名言だと思っています。
過ぎ行くままに大学生活を送っている人。
こんな私だからこそあえて言います。
別にラグビー以外だっていい。
人生を賭けて情熱を注いだ大学生活を送ってほしいです。
これを書くために4年間を振り返った時に、自分にしか送れない大学生活を送ったんだ、自分なりになにか成し遂げたんだと胸を張って言ってほしい。
就活教えてくださいって言ってくれる人、これが全てです。
関関同立レベルの大学生、体育会部活の大学生、山ほどいます。ありきたりのガクチカなんか言っても意味がない。
それが間違っててもいいから、まずは自分で考えて自分で行動する。結果は自ずと着いてきます。もちろんどうしても分からなかったら周りに聞くこともすごく大事ですが。

お父さんお母さん。
知っての通り、普段はこんなことを書くタイプではありません。でも2回生ぐらいからラストイヤーで感謝を綴ろうと決めていました。
正直に言います。高校生の頃まではめちゃくちゃ嫌いでした。
みんな外で遊んでるのにずっと家で勉強させられてゲームも買ってくれない。家では毎日怒鳴られ、1秒たりとも心が休まらない。
大学生で一人暮らしを始めてやっと親のありがたみを少し実感できた気がします。
まず大学に行けたこと。中高とほとんど勉強しなくなっても大学生になれたのは紛れもなく家で勉強していたあの頃のおかげです。
ラグビーを大学までやらせてくれたこと。金銭面などでの負担等はもちろん、大体のことはすぐにそれなりにできるようになる吸収力を持ったこの身体を先天的にも後天的にもつくってくれたこと。本当に感謝しています。
大学でバイトをさせられたこと。部活しながらバイトはできないと何度か喧嘩したのを覚えています。部活をやっていない大学生の親の話を聞いて、周りは仕送りなんか貰っていないと。部活やってるんは自分の勝手だろと。でも4回生になった今、これにも段々と感謝が芽生えてきています。お金のありがたみ、分かっていたつもりだけれども分かっていなかったのだと思います。水のようにお金を使う同期たちと付き合っていくのは大変だったけれど、いい経験になりました。
それでも私はまだまだ未熟者です。これからもよろしくお願いします。
これまでお世話になった分、社会人になる来年から親孝行をしますとみんなここに書いてます。でも私は書きません。実家の冷蔵庫の横に貼ってある、4年分の学費の領収書。奨学金も返さねばなりません。まずはあれを片付けてから。だからもう少しだけ待っていてください。それまでふたり仲良く元気でいてください。
ここまで育ててくれて本当にありがとう。

Love the life you live. Live the life you love.
私の好きな言葉です。
立命館大学ラグビー部はこの4年間、私の人生の中に間違いなくあり続けました。
終わりよければすべてよし。
残された時間を大切に、ラグビー人生を最高の形で締めくくりたいと思います。

同期をはじめ先輩、後輩、スタッフ、コーチ陣、保護者の方々、そして立命館大学ラグビー部に携わる全ての方々へ。
本当にありがとうございました。

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