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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-西村長-

2026/08/12

いつも立命館大学ラグビー部の応援をしていただきありがとうございます。
立命館の持っている男、西村長です。

いつも読む立場だった「ラストイヤーにかける想い」を書くことになり、残された時間の短さと寂しさとともに、最後のシーズンに対する熱も沸き立ってきています。
書きたいことがたくさんあるので、大きく2つに分けて書こうと思います。

まず、大学までのラグビーの短めな振り返りと、周りの方々への感謝を含めたラストにかける想いを書きます。
その後にそこに至るまでの過去の細かい話を身内ネタ満載のエピソードを含めてしたいと思います。
普段なにも考えてなさそうな私ですが、頭の中と心の中にあるものを、名前の通り長い文章で綴ろうと思います。
鍋島・西村と立命館でも厄介なヤツ扱いされている2人が続き、2人とも長々と書いてしまい申し訳ございません。
まとめるのが下手なため少々長くなるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

私のラグビー人生は「悔しさ」と「ラグビーの美しさ」に突き動かされてここまで来ました(詳しくは下の方に書きます)。

ラグビーは本当に楽しくて大好きで、私の人生には欠かせないものです。そんな私のラグビー人生を振り返ります。

幼少期から負けず嫌いだった私は、兄が同級生に誘われて小学校のタグラグビー部に入ったことをきっかけに楕円球に出会いました。
そこから始まったラグビー人生では、小学校・中学校・高校と各カテゴリーで、とても悔しい経験をし、それらの思いを晴らすために次のカテゴリーへと進んでいきました。

そして、高校の監督である薬師寺先生からの助言もあり、「関西リーグ優勝・大学選手権出場」を達成することを目標に、立命館大学ラグビー部に入りました。
大学では2人の人物との出会いにより、自分のプレーを大きく変化させ、成長することができたと思います。

 

入学後は高校と大学との違いに戸惑いながらも、必死に食らいついて1年を過ごしました。一度は上のチームに入ったものの結局Cチームでシーズンを終え、挫折を味わいました。第一線で活躍する𠮷川や三浦の姿を羨み、焦る気持ちもありました。

どうにかして試合に出場し、チームに貢献したいと考えていた私にとって、1番憧れる存在だなあと感じたのは同じBKの先輩方ではなく、LO/FLの榎本匡志(2026年卒)先輩でした。彼のおかげで私は変わることができました。彼はチームのために1番体を張り、1番走るとても堅実な漢でした。彼から影響を受け、それまでの派手で一か八かなプレーを好んでいた自分を一新し、正確で献身的なプレーを心掛けるようになりました。試合に出場するにはこういったプレーを重ねて、信用されることが大切だと学びました。エノさんとフィットネスのときに50cmバックを競い合ったり、水風呂に入りまくったあの夏は忘れません。エノさんに付けてもらった「サトシ」というあだ名を呼ぶ人は誰もおらず、寂しさを感じています。

 

もう1人の大きな出会いは、前ヘッドコーチ・小寺さんです。

2年生になるタイミングで小寺さんと出会い、ラグビーに対する考え方、ラグビー以外の部分の大切さを再確認することができました。元よりラグビー以外の人間性や取り組みを大切にしていた私にとって、小寺さんの言うことは共感することが多かったです。特に2つの言葉は今も大切にしています。「勝利の神は細部に宿る」この言葉は、試合に向けた準備や普段の練習からディティールにこだわる、本当に大切なことだと感じています。「Better people make better Ritsumeikan Rugby」 1番好きな言葉でスマホの画面にさせていただいてます。単にラグビーが上手ければそれで良いのではなく、人として良くなることで立命館大学ラグビー部を良いものにしていく。この考え方のもと、ラグビーの技術の成長とともに人として成長することができたと感じています。本当にありがとうございました。

また、小寺さんは私を大学ラグビーで初めてWTBで起用するという奇策を仕掛けてきました。2年の春の亀岡での交代シーンは忘れられません。当時のS&C尾崎さんが「西村交代、えっと樋川と交代」と言ってきて、「え?まじすか?」と聞き返したのを覚えています。それからというもの元々のCTBとWTBの両方を経験することでプレーの幅を広げることができました(最近はほとんどWTBになってきている)。当時は驚きましたが、感謝しています。

試合には出場できるようになったものの、2年生・3年生・4年生春と満足のいく結果を残せることは少なかったです。ラストシーズンである4年生秋シーズンでは、チームのスローガンである「やったる~勝つべくして勝つ~」をチームで1番体現し、チーム目標「選手権」を達成するために姿勢で魅せていくので後輩たちは、いつも通りバカにしてきていいのでついてきてほしいです。3年生春に経験した関西一の景色をもう一度みんなと見たいです。

 

ここからはお世話になった周りの方々に感謝を伝えたいです。

小学校・中学校・高校・大学と私にラグビーを通して出会った、たくさんの先生・コーチ・先輩・後輩の方々本当にありがとうございました。おかげで今の私があります。

「柴山」のともだちのみんな、いつまでもあの頃のままで楽しかったです。ありがとう。今後も大切にしていきたいです。よろしく。

そして、同期のみんな。私は鈍感でラグビーを嫌になったりはしなかったけど、みんながいたからしんどいことも乗り越えてこれたのは確かやと思う。普段は、いじったりしてばっかりやけど、感謝しています。一緒にラグビーをしてきた時間は財産やと思います。少しでも長く一緒に過ごすために、秋シーズン絶対目標を達成しよう。みんなのことを信じています。

最後にはなりましたが、家族である西村家のみなさんに感謝を伝えたいです。
普段伝えられていないので、少し長く書きます。

これまでのラグビーを含めた人生で、たくさんの迷惑や負担をかけてきたと思います。しかし、私の挑戦に対して、文句1つ言わずとは言いませんが、精神的・経済的な面でずっと応援・支えてくれてありがとうございます。西村家では①時間・約束を守ること②他所は他所、ウチはウチ③物には名前を書くこと、主にこの3点を学んだと思います。
①は西村家で超怖くて厳しく、尊敬しているお母様に育てていただいたおかげで、時間や約束ごとに関して自分に厳しくなれたと思います。
②に関しては幼い頃に言われたら、本当に苛立ったり、腹立ったりすると思います。しかし、大人になり縛られなくなったときに、この考え方が本当に役に立っていると思います。「周りがやっているから」とか「他の人は〇〇やから」という他人軸ではなく、「自分はこう考えるからこうなんだ」という自分の中での軸を作ることができ、良いか悪いかはさておき、他人にブラされない人生を送ることができたと思います。
③物には名前を書くこと。一見すると小学校の遠足のしおりの内容のようにも思えます。しかし私はこれは責任の所在をハッキリさせることだと思います。これからも自分が行う全てのことに対して、名前が書いてあると思い、無責任な行動は避け、責任ある行動を取っていきます。あとは、単に両親からつけていただいた「長」という自分の名前が気に入っています(初見で正しく読まれたことはありませんが)。西村家の息子として生まれた(?)ことに感謝し、もっと「成長」した姿を見せられるように努力していきます。

父とはある約束を交わしました。「秋の一戦目、京都産業大学戦での勝利」。必ず達成します。
あ、あと成くん。タグラグビー始めてくれてありがとう。全ての始まりです。感謝。ラグビーやってる世界線も見てみたかった。
姉 ありがとう。

 

今までお世話になった方々への恩返しをするためにも、ラストイヤーでは必ず目標を達成します。
大好きなラグビーをプレーできていることに感謝し、同期、先輩、後輩、支えてくれているスタッフ、そして、いつも支援してくださっているOBの方々など、立命館を応援してくださるたくさんの方々、全員の想いを背負って戦います。
しんどい状況でも、たくさんの方々の顔を思い浮かべて、その人たちのために走り続け体を当て続けます(鍋島を真似ました)。
立命館で出会った仲間と最高の景色を見ます!
今後とも立命館大学ラグビー部の応援よろしくお願いいたします。

まだまだ書けますが本編はこの辺にしておき、番外編に書いておきます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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⚠️ここから先は番外編です。
時間があるときに読んでくださいませ。

上に書いた通り、私のラグビー人生の原動力は「悔しさ」と「ラグビーの美しさ」だと感じています。そのことについて、エピソードも踏まえて書かせていただきます。
幼少期からとても活発で、私の聖地である三角公園(柴山西児童公園)で毎日のように駆け回っていました。1つ上の兄とは何度も揉め事を起こし、その度に悔しい思いをし、「こいつには絶対負けたくない」と涙しながら幼少期を過ごしました。負けず嫌いになる原点だったと思います。
私が楕円球と出会ったのは、小学校3年生のときでした。兄が周りの同級生に誘われて、小学校のタグラグビー部に入ったことがきっかけです。
そこから私も後を追って始めました。

全国大会に何年も連続で出場しているチームで、私も全国優勝を目標に日々、練習に取り組んでいました。仲間たちと協力し、本気になれる競技にどんどんのめり込んでいきました。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」、勧修で初めて学んだラグビーの美しい考え方はこの先もずっと大切にしたいです。西山先生などタグラグビー部の先生方はラグビーの楽しさ、チームスポーツの美しさ教えてくれました。本当に感謝しています。

実は当時の私は中学校でラグビーをやろうとは思っていませんでした。しかしある出来事をきっかけに「ラグビーをやりたい」と思うようになりました。タグラグビーの近畿大会で敗戦し、全国大会に出られないという出来事が起きました。全国優勝を目指していた私たちにとって、目標が途絶えたことは相当なショックでした。みんなの涙は今でも忘れられません。チームの司令塔を務めていた私は、チームを勝たせることができずに本当に悔しい思いをしました。この悔しい出来事がきっかけとなり、中学校に入って、この仲間たちとラグビーでもう一度高みを、「No.1」を目指したいと思うようになりました。

中学校に入ってからは、勝つことの楽しさと負けることの悔しさを学びました。タグラグビーとは異なり、コンタクトプレーが加わり、ラグビーを始めた当初はみんな困惑していたことを覚えています。しかし、練習や試合を重ねるごとに体を当てる楽しさを実感していきました(ムッちゃん、足立、ニシムラ以外は多分みんなコンタクト嫌がってたな)。1年生だけでフルコンタクトの「赤バック敷き詰め」などADをする際に、中西先生がいつも言っていた「勝ったら嬉しい負けたら悔しい」という謳い文句が本当に懐かしいです。なんかたまに頭で再生されます。味わった悔しさと勝利を目指す気持ちが今にも活きていると思います。神農先生がリスタートするときに「ボール欲しい人✋」ってやるやつにみんなで「ハイハイ✋✋」ってやる貪欲さも今でも忘れていません。

1年生の頃の3年生たちは奇跡の世代と言っていいほどの強いチームで負ける悔しさを味わうことはほとんどなく、とても楽しかった記憶があります(水戸で行われた「1年生裏全国大会」ではボロボロに負けましたね)。

2年生では1年生の頃とは異なり、苦い思い出がたくさん残りました。1個上の代が5人しかいなかったこともあり、前年と比べたら超弱体化し、何度も負けを経験し、そのときは楽しくなくて「ラグビーやめたい」って思っていました。
しかし、そんなことを考えてた2018年の春に、ラグビーの美しさを象徴する忘れられない試合がありました。下馬評では圧倒的に有利だと思われていた同志社中学校に対して、私たち勧修中学校が大逆転勝利を収めることができたのです。得点を取った人は、修市くんなどのエース級の存在だったかもしれませんが、私たち小兵どもが、中西先生や神農先生たちと戦略を練り、仲間を信じて愚直に体を当て続けたことで勝利を掴めたのだと思います(あの時の「相手の方にコロコロロールアウェイ作戦」は今なら絶対笛を吹かれているでしょう)。
私はこの試合でラグビーは体の大きさや能力だけではないと、身をもって知ることができました。チームで勝利のために力を尽くせば大きな壁も乗り越えられる、そういったラグビーの美しさを知り、ラグビーの熱が高まっていきました。

3年生になり自分たちの代になってからは、何にも囚われない自由なラグビーをできて、とても楽しかったです。しかしある程度のチームには勝利できましたが、負けて悔しい思いをすることも少なくなかったです。現在立命館で同期の、久野・岩崎率いる鬼のフィジカル軍団、西京極中学校には何度も負けて、とても悔しい思いをしたことを覚えていますし、今思うとトイメンだった久野は特に腹が立ちます。チームの目標を達成することができなかった悔しさも大きかったですが、最高の仲間とラグビーをできたことが楽しかったです。また、鍋島が書いていた通り、京都府中学校選抜に選んでいただき、鍋島とのブレイクダウンファイトなどを通して、全国のレベルの高さを思い知り、もっと強く・上手くなりたいと感じました。

監督の薬師寺先生に誘われ、高いレベルでラグビーに取り組み、中学校で感じた悔しさを全国で晴らそうと思い、高校は光泉に入りました。とは言うものの、同じ中学校から5人で行くというおもしろさに魅力を感じたのと、京都の強豪に進む勇気と覚悟がなかったのが、主な理由だったと思います。コロナの自粛期間だったため、入学当初はオンラインでのトレーニングなどが中心で気づけば夏になっていました。そして、学校に行ったら知らん間に学校の名前が光泉カトリックになってました。

高校ではスキルレベルや強度などが上がる中、苦戦を強いられましたが、なんとか1年生から出場機会をいただくことができました。しかし、滋賀で勝てても全国では厳しい試合が多かったです。

勝つために、まずは体づくりから始めました。
トレーニングと光泉名物のパワー飯「白ごはん」のおかげで体も大きくなり、入部当初70kg前後から87kgくらいまで増やすことができました。なごみちゃん・ななみちゃん・その他たくさんのMGの方々ありがとうございました。
5:00起きの朝ウエイトを2年半続けたことも、大きくなれた要因だなぁと思います。母は5:00に起きる私のために、4:00くらいには起きて朝ごはんなど用意をしてくれていました。支えがなければ続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございます。それと、一緒に頑張った朝組のみんなありがとう。特にリーダー中峯ありがとう。

それでも全国の壁は高く、近畿大会や全国大会に出るたびに悔しい思いをしていました。
高校2年も終わろうとしていた頃、進路について監督と面談することがあり、人生の大きな選択をすることになりました。当時ラグビーを続けるか迷っていた私は、ラグビーは関係なく受験で立命館大学に入ろうと考えていると監督に伝えました。するとなぜだか分かりませんが、立命館ラグビー部に連絡が行き、立命館大学でラグビーができるチャンスをいただけました。自分の将来についてしっかりと考えた上で、私は高校で感じていた悔しさを大学でもう1回ぶつけたいと思い、大学ラグビーにチャレンジすることに決めました。

このとき、この決断をして本当によかったと感じています。ラグビーをしていなかったら、何してるかわからん、しょーもない大学生活を送っていたと思います。
そんな選択を経て迎えた、高校3年の花園では「お正月を花園で過ごす」と掲げていたものの、1回戦で0-53で負けるという悲劇で花園を沸かしてしまいました。個人的にもミスを連発する不甲斐ないプレーで、支えてくれている人に恩返しすることができず、高校ラグビーを苦い思い出で終えました。
高校ラグビーを通して、自分のためだけではなく、「誰かのために勝ちたい」と思うようになりました。

小学校・中学校・高校・大学とラグビーを通して、たくさんのことを学び、成長することができました。
あとは、これからラストシーズンに全てをぶつけるだけです。ぜひ会場に足を運んで、立命館の勇姿を見ていただきたいです。皆さまの声援が力になります。よろしくお願いいたします。

長い長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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