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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-三浦遼太郎-

2026/09/07

大学生最後の秋シーズン開幕まであとわずかとなり、このラストイヤーにかける想いも、もう自分の順番まで来たのかと思うとはえーなって思います。

それと同時に、同期のラストイヤーにかける想いを読んで、みんなのバックグラウンドに驚き、感動しながら、そんないい文章俺には書けないなーと思いながらこのラストイヤーにかける想いを書いています。

これまで多くの4回生のラグビー人生を読んできて、またかとお思いかもしれませんが私のラグビー人生にも付き合ってもらえると嬉しいです。
(日本語が得意じゃないので読みにくいと思いますが気合でお願いします。)

小学校1年生から始まりここまでのラグビー人生、いやこれまでの三浦遼太郎の全部を振り返ってみてざっくり一言でまとめると
「人に恵まれた」これに尽きると思います。

私のラグビーの始まりは、あるあるのお父さんに連れていかれた先がラグビー場だったっていうやつらしいです。
当時は本当に弱く、大会でも負けてばっかり勝った覚えがありません。そりゃ負けていたら面白くなく練習に向かう車の中が本当に嫌いでした。

そんなラグビーをやめないでいられたのは、年少クラスのコーチだった阿久津さんと菊池さんという2人の存在が大きかったなと、よく親と振り返ります。
どんなプレーをしてもとにかく褒めてくれて、単純な人間だったのでそれだけで嫌いでもその2人に喜んでもらうため、褒めて貰うために頑張っていました。

また、素晴らしい仲間にも恵まれました。同期の柳や慧とは小学校からラグビーを一緒にしていて、特に柳とは小学校1年生の本当に弱かったころから一緒にラグビーをしていました。

他にも小学校の頃に出会った仲間は、誰一人としてしんどいことにくじけずに立ち向かい、一緒にいて本当に楽しい仲間だったと今改めて思います。

そしてこの小学校のころに私の人生の中で絶対に更新されることはない一番のコーチである小関コーチに出会います。

小関コーチはいい意味で本当の脳筋というか、練習では始めと終わりにフィットネスを入れ、タックルができないとラグビーなんてできないといわんばかりにパスよりもタックルをし、しまいには、大事な試合の前に「俺よりもでかくて強いやつはいない」と小関コーチ自ら顔を真っ赤にしてタックルバックを持たすに、真正面のピンピンをチームメイト全員とするという脳筋っぷり。

でも、その熱すぎるほどの姿が、当時の自分には本当にあっていて。
この人だから信じられる。
どんなことでも楽しい。
といった一番奥の熱いやつを焚きつけたんだと思います。

そのころですかね、ラグビー馬鹿三浦というか馬鹿三浦が出来上がったのは。

小学校6年生の小関コーチからの
「あなたはどのレベルでのラグビーをしますか?」
という質問に対し、ひとり
「世界レベル」と答え

フィットネスも、何本するかという問いに対し10とかバカみたいな数を出し。
練習が終わると親が帰るぞというまでタッチフットをし。
(でも、10回とか言っても柳もけいもほかの仲間も嫌な顔しながら止めなかったので、何ならノリノリだったので共犯です)

小関コーチに出会っていなかったら今のラグビー馬鹿三浦は出来なかったと思いますし、ここまでラグビーをしていなかったと思います。

しかし、こんな馬鹿でもラグビーで馬鹿になり切れないタイミングがあります。
それはお父さんが練習を見に来ているときです。

試合形式の練習のレストのたびに、コーチからの話が終わったらすぐお父さんのところに駆け寄りアドバイスを聞き。
少しでも手招きされたらトライをした後でも駆け寄り。
車の中でも練習の動画を見せられ、ここのプレーのどこが良くなかったかの振り返り。

中学校3年生まで褒められた記憶はないほどになっていました。

こう書いてしまうとお父さんは怖い人だったんだって思われると思いますがそういうことではありません笑
その逆で、とにかく親バカのいいお父さんです。

試合の動画は応援するあまり、撮っていたビデオはだれもいない芝を映しているし、
今でも実家に帰ると立命の試合を見ながら寝落ちしている姿をよく見かけます。

そんなお父さんが初めてほめてくれた記憶が今でも残っています。
中学校の決勝の試合、そのころは、チームのキャプテンをしており、泰一や友哉と一緒にラグビーをしていたのですが、最後のほうに私が逆転トライを決め優勝。そのあといつものようにお父さんのもとに駆け寄りアドバイスをもらいに行ったときに
「キャプテンらしくなったな」
の一言。
そのころの私はとにかくうれしくて仲間にたくさん自慢したのを覚えています。
何なら今でもこのエピソードを自慢するときあります。

この時初めて優勝したというよ喜びよりも、お父さんに褒められたという喜びのほうが勝ちました。

ここまで小学校から中学校をほんの少しかじるまで話しましたが、はじめの挨拶を入れてここまでで約2000文字・・・
残りの中学校と高校、大学と話したいことは本当にたくさんあるのですが、書いてしまうと多分卒業論文くらいの長さになってしまうので、
これ以降の多くの人との出会いや、心情、感謝の言葉は飲みに行ったときとか時間のある時に語りたいと思います。
(中学、高校、大学でかかわってくれたたくさんの皆さん。ここには書けなかったですが本当に感謝しています。)

これまでの文章で三浦遼太郎がどんな人なのかは、ほんの少しわかってもらったのかなと思います。
「人に恵まれた」
この言葉を信じてもらうにはあまりに薄いエピソードでしたが、私の周りには本当にたくさんの感謝を伝えたい人で溢れています。

「何のためにラグビーをするのか。」

よく聞く問いだと思うし、皆さんたくさん考えたことがあると思います。
私はこの問いに対して自分のため300%、人のため700%と答えます。

30%と70%ではありません。そんなんじゃ表せないくらいの想いがあります。

ラグビーというスポーツに出会い、それを好きになった自分のため。
決して自分の力で好きになったわけではありません。
多くの人に出会いその仲間がラグビーの周りに一緒にいたから、ラグビーが好きになったのだと今の私は思います。

そしてその私を応援してくれる人がいる。
私の所属している立命館大学というチームを応援してくれる人がいる。
支えてくれる人がいる。
好きなラグビーにまた人が、仲間が増える。
凄く幸せなことだと思います。

その人達が自分が好きになったラグビーを一生懸命することで
見てくれる
幸せになってくれる。
喜んでくれる。
言葉じゃ表現できないほど幸せなことだと思います。

この幸せなことをたくさん感じたい。

そのために身を削り体を張る。
できることをする。

これが三浦遼太郎のラストイヤーにかける想いです。


同期へ
なんだかんだ4回生になってみんなといる時間が増えてとにかく楽しいです。
あと、副キャプテンとして大変だったけどみんなの元気さというかやったる精神に助かってます。
ありがとう。
大宮も言ってたけど、これからも、卒業してもみんなで集まって飲みましょう。
誘ってくださいお願いします笑

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

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