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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-橋本凌-

2026/09/02

私も過去の出来事を振り返りながら、今の思いを書いていきたいと思います。

 

私がラグビーに出会ったのは小学校3年の頃。本当はサッカーを始めるつもりでしたが、入ろうと思っていたチームに気まずい友達がいたこともあり、父の誘いに乗る形で、逃げるようにラグビーを始めました。当時の私にとってラグビーは、活躍する喜びよりも練習のしんどさや身体の痛みの方が優っており、なぜこんなスポーツをやっているのか正直わけがわかりませんでしたが、気がつけば中学、高校、大学とラグビー中心の生活を送っていました。

中学ではスクールと兵庫県代表として全国大会に出場。土日の練習は嫌いでしたが、練習終わりにみんなとおしゃべりする時間が好きで頑張れました。高校では「男の青春」のような3年間を過ごしました。練習はしんどいですが、授業中、休み時間、練習後全てが楽しかったのを覚えています。また3年生の秋、花園前に大きな怪我をし、大会1ヶ月前に手術。本来3ヶ月かかるリハビリを1ヶ月で終わらせ、試合に出場し全国準優勝を経験しました。あの時初めて、本気で努力したと思います。

身体は痛い、しんどい、練習は嫌。それでも一緒に頑張る仲間が面白くて、練習後のおしゃべりが楽しくて、ここまでラグビーを続けてくることができたと思います。

 

大学でも大切なラグビーができる環境に身を置きたいと、ワクワクしながら立命館大学ラグビー部に入部しました。ですが、この4年間が私のラグビー人生の中で1番しんどく、悔しい期間になりました。

入部してすぐにデビューでき、とても楽しい1年目のスタートでした。原付で色々な場所に行ける自由、高校ほどきつくない練習。あれだけ嫌だった練習が楽しく思えるほどで、秋シーズンには黄紺のジャージを着ることもでき、先輩にも恵まれた1年目でした。正直、私の大学ラグビーの思い出はこの1年間が8割を占めています。(実は吉川、三浦に並ぶエグキャラでした)

(4回生・三浦遼太郎、橋本凌、吉川大智)

 

2年目からは持病の腰の状態が悪化し、しんどい期間が続きました。復帰できそうなタイミングで別の怪我が重なり、半年ほどプレーできない時期もありましたが、松本さんや井原さんに支えていただき、2年目の秋に復帰。復帰から2週間でリーグ戦にも出場することができ、自分でも思っていた以上に手応えを感じていたのを覚えています。

(2026年卒・大本峻士、4回生・橋本凌)

 

3年目からは、実質的にラグビーができていません。春合宿での練習(乱闘のようなモール)中に腰の状態が悪化し、日常生活すら痛みを伴うようになりました。走れば響く痛み、出口の見えないリハビリの毎日。モチベーションは下がる一方で、練習の時間になれば怪我人としてのトレーニングをただこなすだけ。「怪我人は楽」とよく言われますが、実際には面白いことなど一つもなく、意味が見出せないリハビリを続けるうちに、次第にサボるようになっていきました。サボれば周りとの差が開くだけ、真面目にやっても回復する気がしない。そんな日々に耐えられなくなり、「どうせ復帰できないなら意味がない。これで嫌いだったラグビーから解放される」そう思い、選手を引退する覚悟を決め、両親に本音で伝えました。感謝の思いを伝えたとき、家族3人で大泣きしました。

 

ですが、その2日後には、引退を撤回しもうリハビリを再開していました。自分が今まで活躍してきた、ただ一つ輝ける場所を自分から手放したくない。最後までやり切りたい。そう思ったからです。このとき初めて、「自分にはラグビーしかない」「この居場所が大好きだ」と、素直に思うことができました。そこから先は、ただラグビーをするためだけに前向きに努力しました。順調に回復し、あと少しで復帰できるところまで来た矢先、今度は首の怪我で正真正銘の選手引退となりました。「なぜまた自分なんだ」という悔しさよりも、枕に頭を倒す時の痛みの方が勝っていたのを覚えています。

「あの時もっと努力していれば」「なぜ自分がこんな思いをしなければいけないのか」。そんな後悔と悔しさを繰り返した、完全燃焼とは言えない大学ラグビー人生でした。

 

チームを離れ、まともな大学生活を送ろうとも考えましたが、これまで共に過ごした仲間と離れることなどできず、ただ一緒にいたいという思いだけで学生コーチになりました。

正直、スタッフという役割には自分は全く向いていないと、数日で悟りました。「なぜプレーできない自分がこんなことをしなければいけないのか」「なぜ一度教えたことを何度も繰り返すのか」「自分だったらもっとうまくできる」。そんなことを毎日考えながらも、ただ居場所が欲しくて練習に足を運んでいました。今思えば、選手だった頃の自分も、同じような姿勢で練習に参加していた時期があったと思います。過去の自分をしばきたいです。

そんな葛藤を抱えながらも、後から学生コーチが増えてくれたおかげで、なんとかここまでやってこられました。

(4回生・光野凉有、鍋島孝碩、東修吾、仲山慧一、橋本凌)

 

ようやく本題のラストイヤーについてです。正直、私は4年生の中で1番、ラストイヤーについて語れることが少ない人間だと思っています。選手であれば、立命館大学ラグビー部の1番としてプレーするために努力し、最高学年として選手権を目指す。そう思うのが自然でしょうし、引退した今でも私自身そう思います。ですが、私はもうプレーができません。私以外にも、プレーしたくてもできなくなり、スタッフとしてチームに残っている仲間がいます。だからこそ「プレーできる人は、できない人の分まで」などとは言いません。ただ、ラグビーができることに感謝して、日々の取り組みを悔いの残らないように過ごしてほしい。引退のその日まで、ラグビーができ続ける保証などどこにもありません。だからこそ、毎日を今まで以上に真剣に、大切に過ごしてほしいと思います。
「最後までやったる」
そんなみんなのラグビーを、最後まで見届けたいです。

 

後輩の皆
筋トレ、練習、身体のケア、1日1日を少しでも自分の成長につなげられるように過ごして欲しいです。こんな自分ですが、みんなと笑い合う日々が好きです。シーズンも勝って笑えるように頑張りましょう。

 

同期の皆
自分が引退してもここまでやってこれたのはみんなのおかげです。4年間、こんなに楽しい毎日を過ごせる居場所を作ってくれてありがとう。みんなと会うと絶対に笑えて、幸せになります。大好きです。ついでに、僕はノリ悪いやつじゃないです。遊びましょう。
最後までやったりましょう。

 

最後に両親へ
普段恥ずかしくて言えないので、これを機に感謝を伝えます。14年間、ラグビーに携わらせてくれて本当にありがとう。たまに帰って食べる実家のご飯は格別です。2キロは余裕で増やせます。いつも笑顔でしょうもない発言を笑ってくれる母ちゃん。なんの話をしてるのかわからんけど頼りになるかっこいい父ちゃん。そんな両親で私は幸せ者です。私の1番のファンでいつも支えてくれてありがとう。ラグビーをしてる姿をまともに見せることができずに、ごめんなさい。こんな幸せなラグビーに出会えたのも、続けてこれたのも、しんどい期間を乗り越えることができたのも2人のおかげです。本当にありがとう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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