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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-石飛冬輝-

2026/07/28

私は高校からラグビーを始め、ラグビー歴としては7年目に突入しました。今振り返ると、「もっと小さい頃からラグビーに打ち込みたかった」「もっと長く続けたかった」など、様々な想いがあることに気付きます。

 

私は小学1年生から中学3年生まで野球を9年間続けており、小学生の頃はプロ野球選手になりたいと語っていました。東大阪市というラグビーが盛んな地域で生まれ育ちましたが、私自身はラグビーとは無縁の人生を送っていました。しかし、中学生になるタイミングで膝の大怪我をした影響もあり、硬式野球ではなく中学校の野球部に進むことにしました。そこからの中学生生活は、ごく普通の野球少年でした。プロ野球選手を目指す気持ちから、いつしか野球を楽しむ気持ちへと変わっていき、野球に対する熱量も少しずつ薄れていきました。

高校進学のタイミングでラグビーというスポーツに出会い、周りの後押しやいくつかの偶然が重なったことで、ラグビーに何か縁を感じ、高校からラグビーを始めることにしました。高校ではレギュラーになるまでとても苦労しましたが、恩師である伊藤矢一先生との出会いもあり、初心者の私にラグビーを親身になって教えてくださり、1年生の終わり頃にはレギュラーに定着することができました。振り返ると、興國高校でラグビーというスポーツを好きになることができて、本当に良かったなと思います。高校では人生で初めて生徒会に挑戦したり、社会奉仕団体の会長を務めたりと、学校生活でも初めての挑戦をいくつか経験しました。また、部活動では30年ぶりのBシードを獲得することができたりと、公私ともに充実した高校生活を送らせていただきました。

 

大学では、もっと高いレベルでラグビーがしたいと考え、指定校推薦で立命館大学を選びました。入部してからは、本当にしんどかったです。

自分なんかより何回りも身体が大きくて強い同期や先輩しかおらず、「1年生の頃から大阪の中堅校でレギュラーとして出ていた」という私のプライドは、一瞬でへし折られました。初めて地元を離れたこともあり、1年生の頃は毎週末地元に帰って、地元の友達と遊んでいたことを思い出します。遊ぶことがとても楽しく、親に「辞めたい」と相談した焼肉屋での光景は、今でも忘れません。

 

今振り返ると、強豪ラグビー部でラグビーを続ける覚悟がなく、しんどい環境や生活から逃げていただけなんだなと思います。あの時、親に辞めることを止められていなかったらと思うと、感謝してもしきれません。

 

しかし、続ける覚悟がやっとできても、しんどい環境や生活が何か変わることはありませんでした。常に自分より強くて上手い選手が周りに溢れている環境でラグビーを続けることは、本当に大変でしんどかったです。特に、同じポジションの先輩方は本当に身体も大きく、上手かったので大変でした。

ただ、周りの支えや、立命館大学への道へ送り出してくれた恩師の存在が、自分を奮い立たせてくれました。しかし、振り返ると、その努力も「もっとできたのかな」と少しばかり後悔もあります。

(3回生・山下駿平、4回生・石飛冬輝、3回生・高長右京)

 

この4年間、様々な紆余曲折がありましたが、ここまで続けることができたのは、仲間の支えが非常に大きかったです。たくさんの先輩方にお世話になりました。私に関わってくださった全ての先輩方からいただいた教えが、今の自分を作り上げていると思います。

特に同期に関しては、ありえないくらい一人一人のキャラが濃くて、面白くて、努力家で、こんなチームは他にないと思います。自分と仲良くしてくれ、喝を入れてくれ、励ましてくれる同期が本当に大好きで、とても感謝しています。

みんな、ありがとう。

 

最後に、両親へ。

小学校からスポーツを続けて16年が経ちました。1つのスポーツではありませんでしたが、野球とラグビーを通して、私という人間ができました。私がこんなにも長くスポーツを続けることができたのは、その裏に、ありえないくらいの両親の支えがあってこそだと思っています。

なかなか普段は伝えられませんが、この場を借りて、いつも迷惑ばかりかけてごめんなさい。そして、本当にありがとう。

どれだけ頑張っても返しきれない恩を、一生かけて返していきたいと思います。

あとラグビーができるのも残りわずかなので、もう一度、黄紺のジャージを着ることを目標に、悔いなく突っ走りたいと思います!

長くなりましたが、ありがとうございました!

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