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RITSUMEIKAN UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB

立命館大学
体育会ラグビー部

ラストイヤーにかける想い-名取稜太郎-

2026/09/05

いつも立命館大学ラグビー部を応援していただき、本当にありがとうございます。

周りの皆んなも言っていますが、こんなに早くラストイヤーに懸ける想いを書くことになるとは思っていませんでした。これを書いていると、大学ラグビーの終わりが近づいていることを実感し、寂しい気持ちでいっぱいになります。

西村長くんが良い文章の書き方をしていたので、私も参考にさせてもらいながら、心の中にある想いを自分なりの言葉で綴ろうと思います。まとめるのが下手で長くなってしまいますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

書きたいことがたくさんあるので、大きく2つに分けて書くことにしました。
本編では、これまでのラグビー人生の振り返り、そしてラストイヤーに懸ける想いを書きます。

番外編では私の人生の大きなターニングポイントとなった中学時代の挫折や、通信制高校から再びラグビーを始めるまでの経緯について、書こうと思います。

 

私は小学1年生から5年生まで、坊主頭で野球に打ち込む野球少年でした。

野球を辞めてラグビーを始めたのは小学5年生の時です。きっかけは、家の近くにラグビースクールがあったことと、体が大きかったからでした。

小学生の時にはヒーローズカップ(全国大会)にも出場でき、野球に比べて自由度が高く、練習時間もコンパクトで最高に楽しいスポーツだと夢中になりました。

 

中学校は私立の中高一貫校に進学してラグビーに専念していたのですが、ここで人生最大の挫折を味わうことになります。さまざまな葛藤から一度ラグビーを完全に離れ、学校からも距離を置く空白の1年半を過ごしました。

その後、通信制高校への入学やラグビーワールドカップの観戦、そして両親の温かい支えがあり、もう一度高校を入り直してでもラグビーがしたいという強い想いが芽生えました。

そして、縁があり進学したのが、静岡県の高校でした。直感でなんか良いと感じたのと、寮生活を送ることでしんどいことがあっても簡単に家に帰れない環境(実家は大阪)で、逃げることが難しいと思い選んだ学校です。

入学直後にコロナ禍となり半年間の猶予ができたため、練習やウエイトトレーニングなど自分にできる準備をして入学を迎えました。その甲斐あって、1年生の時からスタメンで花園に出場することができ、3年生ではキャプテンとして花園のグラウンドに立つことができました。かけがえのない、大切な仲間と出会い、貴重な経験をさせていただいたと思っています。

 

その後、中林さんからお声がけをいただき、立命館大学に進学することになりました。

入部して最初に感じたのは、選手間での熱量のギャップでした。強豪校出身ではなかった僕は勝手に高いモチベーションを持ってラグビーに取り組んでいるチームだとイメージしていました。

しかし現実は、Aチームの人でもモチベーションの差やラグビーに対する思いのギャップが凄くありました。

そして、私自身周囲の雰囲気に呑まれて、ラグビーに100%打ち込めない1年目を過ごしてしまいました。菅平合宿でAチームで出場のチャンスをもらったものの、何も残せないままCチームに落ち、活躍していく同期の姿を羨ましく、また悔しい気持ちで応援することしかできませんでした。

2回生になって練習や自主練など、参加はしていたものの、ラグビーに真摯に向き合えていたかと言われると疑問が残る時期でした。周りから私がどう見られていたかは分かりませんが、真面目に練習はするけれど、心の底からもっと上を目指す、絶対にスタメンを奪うという強い気持ちを外に出したり体現したりできていなかったと思います。

病気などが重なり、秋の開幕戦でリザーブとして近大戦に出場できたものの、次戦直前の練習で重い捻挫をし、また復帰後にバックアップとして試合前w-upで鼻骨折。僕の秋シーズンはこれで終わってしまいました。この時、1年目から周りに流され、自分から変わろうとしなかった結果がこれだと、ラグビーと向き合う姿勢の甘さを痛感しました。

そして3回生になり、チームの雰囲気やラグビーに対する本気度が大きく変わりました。このチームでスターティングメンバーに入り、関西1位、選手権の景色を見たいという思いがこれまで以上に強くなりました。

春シーズンはチームとして優勝を果たしたものの、迎えた秋シーズンは入れ替え戦という衝撃的な結果に終わりました。

初めて秋シーズンにスターティングメンバーとしてグラウンドに立ちましたが、このメンバーをもってしても入れ替え戦に回るという、とんでもない現実を叩きつけられました。

ジャージを着たくても着られない仲間がいっぱいいる中で、チームの代表としての覚悟と責任を背負って試合に臨み、そして負ける。申し訳ないなんて言葉でおさまるような感情ではなく、ただただ情けなさと言い表せない感情がありました。

ここで、試合に出る人が背負うプレッシャーの重みを初めて身をもって知りました。それと同時に、1年生の時からこの重圧を背負い続け、グラウンドに立ち続けてきた吉川や三浦の凄さを改めて痛感しました。

絶対に大学選手権に行けると誰もが疑っていなかったからこそ衝撃は大きく、それと同時に幹部だけが背負い込みすぎるチームではいけないのだと、身に染みて理解しました。

 

入れ替え戦が終わった後、ある人からどうせ立命は本気でやってるやつなんて少ないやろ、本気でやってたら入れ替え戦なんかいかへんと言われました。自分たちの取り組みや本気度を否定されたようで、マジで悔しさがこみ上げてきました。

だからこそ私は、言葉ではなく結果で証明したいです。

昨年度の先輩方は、チームに本当に素晴らしい文化や良い影響を残してくれたので、私たちが受け継ぎ、今年のチームで絶対に大学選手権出場を果たさなければならないと思っています。

今年度、最高学年となり副キャプテンを務めることになりましたが、正直なところ最初は副キャプテンとして何をすべきなのかがよく分かっていませんでした。

チームの方向性は幹部やミーティングメンバーみんなで決めたものの、やはり先頭に立ってチームを率いるのはキャプテンである大智の役割で、キャプテンしか経験したことのない私はどのように大智を支えながらチームを引っ張るかが分かりませんでした。

その中で副キャプテンである私にできることと言えば、練習の強度を保つことや、生活面・規律を守れていない人に対して厳しく声をかけることでした。

それでもどこか副キャプテンとしてもっとできることがあったのではないかと、中途半端さを感じてしまう自分がいました。

特に春シーズン、大智が不在の期間は僕がゲームキャプテンとして試合に出場しましたが、思うような結果を残せず、途中で怪我をして試合に出られない時期があったり、キャプテン代理として本当に不甲斐ない思いをしました。

私はフィールドに立っても、大智や三浦のように一発でチームの流れを変えられるような華やかなプレーヤーではありません。自分に一体何ができるのだろうかとずっと模索し続けています。

だからこそ、この中途半端な自分を捨て去り、秋シーズンは副キャプテンとしての役割をより明確にして、チームに良い影響を与えていきたいと思っています。

特別なプレーで魅せることはできなくても、泥臭く身体を張り続けること、泥臭くこぼれ球に飛び込むこと、そしてチームトークで仲間に熱を与えられる存在になること。私なりのアプローチでチームに貢献していきたいです。

 

後輩達へ

大学生になると自由が増えて、周りには色々な誘惑や楽しいことが溢れていると思います。僕自身も1年目の頃は周囲の雰囲気に流されて、身が入りきらない時期を過ごしてしまいました。

だからこそみんなには、せっかく自分の貴重な時間を使ってこの立命館大学ラグビー部を選んだ理由を、今一度考えてみてほしいです。

なんで自分はラグビーをやっているんだろう、なぜ立命でプレーしているんだろうって。

理由は、ラグビーが好きだから、ただただプレーするのが楽しいからで良いと思う。

それで良いから本気でやろ。その時その時に出せる100%出しにいこ。

BEAT、LEGION、今どのカテゴリーにいるかは関係ないから、なんとなく日々を過ごすのじゃなくて、スタメンになりたい、あの先輩みたいなりたいとか自分なりの目標や原動力をしっかりと持って、目の前のラグビーに本気で向き合ってほしいなって思います。

1日1日の練習やったり、チームの活動がすごい貴重やと思うから大切に日々過ごした方が良いと思う。そうじゃないとすぐ大学ラグビーの終わりが来るから。

決して諦めずに、最後まで一緒にやったりましょう。

 

同期へ

よくみんな俺のこと偽善者って言ってくるけど、まぁやらない善よりやる偽善やろ。

良いことは良いことなんやから。

もうみんなと出会って4年経つけど、早すぎて怖いです。ほんまにみんなと過ごす時間は、ラグビーをやってる時もそれ以外も楽しすぎて、マジで終わりたくない。だからこそ、できる限り長くみんなとラグビーをやるためにも、絶対に選手権に行こう。

恥ずかしいんやけど、これが本心で、みんなと出会えて本当に良かったと思っています。

ラグビーが終わった後もずっと仲間やから、なんかしんどいこととか助けてほしいことがあったら絶対に駆けつけるんで、頼ってきてください。僕も頼るんで。よろしくお願いします。

とりあえずこれからの秋シーズン、まずは4回生が一つに固まってやったりましょう。

それで回生会引退した後もいっぱい開催しよ笑。

 

そして、いつも温かく応援し、支援してくださるOB・保護者・関係者の方々、本当にありがとうございます。

この立場になったからこそ、私たちがどれだけ多くの応援やサポートを受けているか、そしてそのパワーがどれほどすごいかを身に染みて感じています。この期待に応えたいです。

自分なりのアプローチでチームに貢献して、大智、三浦、たむこうをはじめとする幹部、メンバー、スタッフ・コーチ陣、OBや保護者の方々、そしてチーム全員で選手権に出場して、最後はみんなで「やったった」と胸を張って言いたいです。

 

以上が私の本編となります。

つたない文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 


 

ここからは番外編です。

興味のある方はお読みください。あまり綺麗な言葉では書かないです。この時の心情を文字に起こすのは初めてで、色々な方に見られると思うと恥ずかしいような怖いような変な気持ちです。こんな機会無さそうなので本心丸出しで書きます。

中学時代の私は私立の中高一貫校に所属し、朝練に行って授業を受け、終わればまたラグビーという、根っからのラグビーバカでした。

しかし中学3年に上がる際、顧問の方と方向性などが合わなくなり、ラグビーを辞めました。

当時の私は、部活動だけでなく、授業でも先生達から何をやっても否定されているような感覚を抱いていました。思春期で多感な時期だったこともあり、何に対しても反抗的でラグビーだけできれば良いと考えていた悪ガキでした。

自分にとって全てだったラグビーが無くなると同時に学校へ行く意味も見失いました。そこから学校からも距離を置き、何もしない引きこもりの生活を送ることになります。
今の私の状態を知っている人たちからは、想像もつかない姿だと思います。

正直、ゲームをしている時間は楽しかったけれど、それ以外はしんどくてあまり記憶に残っていない期間です。

学校を休み出した時は、同年代のみんなが学校に行っているのに休んでいるという事に罪悪感がありました。休んですることもない。でも、学校には行きたくない。休み始めるとどこか行こうと思っても一歩踏み出せないようになりました。

そして、自分のことが嫌いになって周りの目が気になり、人に会うのが嫌になりました。

それと同時に家族にも会いたくなくなり、弟やお姉ちゃんは普通に学校に行っているのに、自分は引き篭もりズル休み、どうせ学校なんで行かんのやろとか色々思われてると勝手に被害妄想をして八つ当たりをし、何もしていないのに攻撃をしたりと、家族自体をぐちゃぐちゃにしていたと思います。

マイナスな思考が頭の中でグルグル回り続け、慢性的な睡眠不足や、日光にも当たらず運動不足だったせいで、何も起こっていないのにどんどん病んでいきました。そして、ほぼベッドから動かない1年間を過ごしました。このおかげで身長伸びたのかなとも思ってます。

本当に酷い時は死にたいとまで思い、それを母親に直接言ったこともあります。その時、母親がどんな想いで私に声をかけてくれていたのか、どんな心境だったのか、今でも聞いたことはありませんが、凄まじいものだったと思います。

前に言われたのは、プロゲーマーになるのか、ニートになって一生面倒見るもんやと覚悟はしてたということでした。

朝から晩までゲームに没頭し、ちょっとしたお小遣い稼ぎができるレベルまで極めるような生活。昼夜逆転し、部屋に誰かが入ってくれば
はよどっか行けとキレる。本当にやばい人間でした。

そんな私の転機となったのは、母親からの提案で通信制高校に進んだことでした。

元々は、高校自体に行く気がありませんでした。記憶自体は曖昧ですが、母親が諦めずに説得してくれたのだと思います。

母親が見つけてきてくれた通信制高校は、スポーツ科みたいな体育の授業と、数学などの軽い座学をするような学校でした。通信制だけど一応出席があって、クラスもある。でも授業は短いという、当時の自分にとって丁度いいくらいの感覚の学校を見つけてきてくれました。

私は昔から、人と関わることや体を動かすことが好きだったこともあり、普通の高校とは違うけれど、ちょっと楽しめる学校に行ってみようと、少しずつ前を向くきっかけをもらいました。

ゲームは継続的にやっていたのですが、現実で人と関わったり運動をしたりする方が楽しく感じ、ゲームも次第にやめていきました。

元気になりつつあった時、父親と弟と2019年のラグビーワールドカップ(サモア戦)を観に行き、もう一度ラグビーへの情熱に火がつきました。あの会場の盛り上がり、雰囲気に圧倒されてラグビーやっぱ面白いと思ったのを覚えています。

そこでもう一度ラグビーがしたいと両親に相談しました。正直、もうラグビーも普通の高校生活も送れないと思っていたのに、もしかしたらできるかもしれないとなった時は本当に嬉しかったです。

そこから母は、ラグビーができて普通の高校生活を送ることができる環境はないかと探してくれ、大阪や奈良など様々な高校のオープンキャンパスに行ったり、先生方と話をしてくれたりしました。その結果、縁のあった静岡県の高校に進学することになりました。

本当は学年を落とさずにそのまま進める環境を求めていたのですが、必修授業の兼ね合いもあり、転学ではなく高校1年生をもう一度やり直す(再入学)という決断をしました。

最初はすごく不安でした。大学の浪人とはまた違って周り全員が一学年下なので、馴染めるだろうかと怖かったです。私が一学年上の年齢とは自分から言うことはなく、相手も気まずくて聞いてくることはほとんどなく、どこかその話はタブーみたいな雰囲気があったと思います。結構助かりました。これが、私の空白の期間です。

 

この経験を通じて、私は色々なことを学び、成長できたと思っています。

まず、ラグビーができて、大切な仲間と出会えて、こうして頑張れている今は当たり前じゃないということ。これは一度ラグビーを辞めて、どん底を見たからこそ強く思えることだと思っています。仲間と過ごす中で、日々それを痛感しています。

やりたくても怪我でプレーできない仲間もいるし、家庭の事情でラグビーを辞めざるを得ない人もいる中で、本当に自分がラグビーをできている環境はありがたいことなのだと日々思っています。また、それを背負って試合に出ようと思っています。

今後もしかしたら、みんなも病んだりどん底まで落ちたりすることがあるかもしれません。

もしそうなった時のために、まだ23年ちょっとしか生きていない私から伝えられることがあるとすれば、生きてたらなんとかなる、ということです。

しんどいことも、大変な思いも、絶対に何かの意味がある。そして、その経験を何か意味のあるものに変えられる能力を、みんな持っていると思います。

だからこそ、日々感謝しながらラグビーや日常を送ろうと、これを書きながら改めて思っています。

 

最後に、母や父が私の選択をすぐ受け入れて応援してくれること、自分のやりたいようにやらせてくれることへの感謝を綴ります。

家族へ。

こんなタイミングしか言うことないので感謝を綴りたいと思います。

すごい迷惑かけてきました、まだかけると思います。母さんには特にとんでもないこと言ってきたし、してきました。本当にごめんなさい。母さんがあの時無理矢理学校に行かせようとせず、見捨てずに元気になるまでそっとしてくれてたこと、本当にありがとう。

父さんも母さんも、俺が「やりたい」って言ったことをすぐやらせてくれて、何不自由なくラグビーをやらせてくれました。高校の再入学とか、お金も労力もとんでもなくかかるのに出し惜しみせず、やりたいことをやらせてくれてありがとう。

今、人生むっちゃ楽しいです。

しんどいこともあるけど、それもそれで楽しめる考え方がついて、ほんまに感謝してます。

これから長い時間かけてでも、少しずつ親孝行できるよう頑張るので長生きしてください。

姉ちゃんも弟も元気で健康でいてください。

 

長々と私の人生や番外編まで読んでいただき、ありがとうございました。

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